自然の贈り物「秘境の旅」
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明治時代に政府から発令された「神仏分離令」によって、全国の寺が次々と壊されていきました。特に十津川村では徹底して行われ、54もの寺がすべて壊されてしまいました。なぜ十津川村はここまで徹底的に「廃仏毀釈」に従ったのか。それは、天皇家との関係が昔から親密だったからと考えられています。熊野古道も十津川村に通っており、昔から多くの天皇が参拝していたということです。
これは十津川村大字平谷にある山門です。ここにも昔は寺があったのですが、廃仏毀釈により取り壊され、山門だけが残っています。
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このようにたくさん仏像が残っていることもあります。これは、「ありがたい仏像を簡単に捨てられない」という村人もいて、どこかに大切に保管されていたものがみつかることがあるのです。まだまだみつかるかもしれません。

他の集落にも寺の跡があります。少し紹介します。
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十津川村に桑畑という集落があります。
ここに神社があるのは知っていましたが、元が寺であるということは知りませんでした。
また、龍光寺という名前も調べてはじめて分かりました。地元の人たちも、ほとんどその名前を知っていませんでした。
どのような寺だったのかは今はもう分かりませんが、写真と一緒に紹介していきます。
・この写真は、龍光寺の寺跡に作られた石碑の写真です。これは最近できたものです。
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廃仏毀釈によって寺がすべて壊された十津川村にも、1992年大字出谷に新しく龍泉寺と呼ばれる寺ができました。龍泉寺は曹洞宗で,もともと出谷にあったのですが、残念ながら廃仏毀釈により取り壊されてしまったのです。しかし、千葉茂さんを中心とする寺の復興を願う人たちの努力によって、龍泉寺が復興したのです。千葉さんの家と龍泉寺の関わりは深く、仏像なども大切に保管していたそうです。昔は寺子屋として使われていたらしく、墨書きの教科書や書物、そして机も保管されていました。宗派は昔と同じく曹洞宗。
寺跡から10メートルほど北に離れた土地で再建が開始され、千葉さんもこのときはとても苦労したとおっしゃっていました。総工費約1,300万。苦労のかいあって、立派な寺として復興できました。

・龍泉寺の天井の龍の絵
中国の絵師の人が描いてくれたそうです。きれいで迫力のある絵でした。
寺の名前に【龍】とついているのため龍の絵を描いてくれたのでしょう。
・千葉茂さん
いろいろ龍泉寺の事を話してくれました。
龍泉寺の名前の由来は周りにアオダイショウというヘビがたくさん生息していてそれを竜とたとえたそうです。







